曲を提供する側、曲を作る人で、自分で歌わないけれど歌モノを作る人っていますよね。。。
つまり歌い手に向けて曲を提供したり、歌モノ曲自体を制作するポジションの方ですね、、、
そういった方はまずメロディーを伝えるために何かの音色でメロディーを録音しといてますよね、、、
今回はその、“仮のメロディートラック” について思うことのお話です…
私の経験から独断と偏見と勝手な固定概念をぶつけてみますw
〜〜項目〜〜〜〜〜〜〜〜
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❤︎1、メロディーの音色こだわってますか
私は自分で作って自分で歌いますが、最初は作曲は誰かにしてもらいたい人だったんんです
そのような場合、
バンドなんかでもそうですが、
曲を作る人と歌うたいが別な場合、それから、曲を提供する人が別にいる場合などもありましょう
私もそういった状況、環境を経験してます
なので痛感していることがあります……..
ま、だからこそ自分で作るようになったのですがね笑
つまり、作曲者のメロが、よくわからない!?という現象が巻き起こったりしてました笑
❶作曲者のなんだかよくわからない言語でしかも歌い手と全然キーが合わないメロがテキトーに声で入っている、、しかも音程が曖昧w
や、
❷ピアノ音源やエレピなどで無機質に平たくはしょったメロが入っている
ってことが頻繁にあった
まぁ、別に問題ないんだけれど、
自由度がありすぎてどうとでも解釈できるから自分なりにアレンジするじゃないですか?笑
で、
❶の場合はキーが全く合ってないからばっくり変えます笑
(ってかこれって正直、問題外な気がする、、作曲者じゃないよねこんな人 笑
メロディーはメロディーで歌うたいが作んなきゃならないんだから笑)
メロディーがはっきりできていて、後でキーを合わせてくれるなら全く問題ないんですが笑
結局これって歌モノを作ってるんじゃなくて、オケトラックを作ってるだけなんだよね笑
そしてこの手の人って
この状態で作曲者のイメージを壊されることを拒むんですよね、笑
あくまでイメージだから壊してくれること、変化してくことを楽しんでいるというならとてもよくわかるんですけど….
自分の好み、自分のイメージを生かしたいなら、歌い手にはっきりわかるように明確に提示すべきだよね
と思うわけです
雲をつかむような状態で必死にリライトに近い状態まで持っていかせてるのにダメだしする というのはなかなかのおたんこなすびな気がしてしまう笑
曲を作るって、想像できてない、着地点が見えていない、ってことにワクワクするんだけれど、、そこに興味がないのって私にはなかなかよく分からない笑
そして他の誰かが加わることによって自分の曲がぶち壊れて肥大化していくことを楽しめないんならきっちり明確に提示するか、一人でやった方がよくない?って思うんですよね,,,,,
❷の場合はまだ❶よりは全然いいかもしれない
ただ、鍵盤の音階って肉声と全く違って曖昧さや、揺らぎがほとんどないので肉声のニュアンスのイメージがわかりづらい
だから作者の想像と全然違くなる言葉の譜割やブレスで作ってしまう場合が多々なんです
だから、もし、作者のイメージが明確にあるのなら、そしてその通りに広げていって欲しいなら、そのニュアンス、イメージが伝わりやすい音色で作るべきと思う
つまり肉声に近い音色を使って歌い回しのイメージが伝わるようにすべきってことです
サックス系、フルート系など、管楽器系とかのニュアンスのあるものでちゃんと鍵盤の間の音もベンダーなりを使って表現するとか….
意外とフレットレスベースの音色も歌に近い
音色には好みもあるかと思うので別になんでもいいのですが、
例えばピアノ音源だと、平らに棒弾きされてるとどこまで伸ばすのか?どこで切るのか?、語尾は下がるの?とか、節を回すようなメロなのか?しゃくりの入ったメロなのか?などなどは伝わりません
そのイメージがあるのなら明確に表現しないと歌い手にはほとんど作曲者の想像、イメージなんて伝わりません
感覚や経験によってくみとってくれよっていうのは勝手なワガママで甘えですよね
でもあくまで、変化を楽しまない、想像を超えたものはいらない、自分の想像のみを具体的にしたい
と思っているなら ですけども……
表現力や想像力のある歌うたいなら勝手に解釈して膨らませてくれますからね
だから逆にこの人なら面白く壊してくれるだろうとか感じるならわざと無機質に棒弾きして自由度を残す、どうとでも解釈出来る という状態にして渡すのもアリだと思う笑
これって面白いな,,,
❤︎2、歌ってみてますか?歌心ありますか?
はっきり言ってこれが全てな気もする
上記のような状態の人ってつまり歌心がないからそうなるんだと思う 笑
それと、メンバーがいるならそのメンバーの音を鳴らして作曲してないからだと思うの
歌心がないっていうのは歌がヘタ という意味では全くない
歌が好きか、そのメロに心が動くのか、歌いたいのか、歌ってみてるのか、
一緒に歌っちゃうくらいちゃんと心を奪われているのか?
ってことなんだと思う
これってすんごく私は重要なことだと思う
楽器を弾くにしたって歌心ってすんごく重要だと思うんです
もし歌心があって作っているのなら、ブレスできないメロディーとか生まれるわけないし
例えば女性に提供する曲なのに男性のキーでテキトーに中途半端な声で入れてそのまま渡すなんてありえないはずなんですよ笑
その逆も然りですよね
男性に提供する曲に女がテキトーに歌ったデモをそのまま渡されて歌詞つけて歌えってあんまりないと思う 笑
通常、最終的にキーは変えてくれますよね笑
計算されていてオクターブ下がその人のキーにドンピシャとかなら話は別ですよw
もしくはキーの高い男性でそのままのキーでも女性にぴったりのキーになるはず!
とかも別ね笑
そして本当はどんな人がどんな風にどんなイメージで歌う曲なのか?
は、ある程度意識してみたりしないの?っって思う
キーのレンジが狭い人もいける曲なのか?キーが広い人なのか?
もっと言えば本当は誰に歌って欲しいのか?までイメージしてキーやリズム、アレンジなども考えた方が良くない?
その上で壊すことにワクワクできること
メンバーがいるならメンバーの音を想像で鳴らして作ることが基本な気がする
自分だけの想像とエゴを具体化したいだけなら、生身の歌うたいに投げない方がいい
❤︎3、本当は肉声仮メロが一番伝わる
ここまで書いてアレなんですが、メロはやはり、
“肉声でテキトー語” で入れとくのが一番伝わりやすいと思うんです笑
ただし
歌心は必要
そして委ねること、別物に生まれ変わってしまうかもしれないことを楽しめること。。。。
それがあるのなら “肉声テキトー語” が手取り早く伝わるし、ヒヤリングの誤解から面白いことになる場合もあるし笑
と私は思うのですが……………………………………………
そういう器の大きい、歌心のある作曲家さんやプロデューサーの方もちゃんといますし
単にゆるい人格、テキトーな人格 というのも放すことを無意識に実行できる人格でそれは人徳なのかもしれないとさえ思う笑
歌うたいはちゃんとコライトする相手を選ぶべきだし、そういう器の大きい方と組める歌うたいを目指すべきなのかもしれない………….
そして曲を作る場合はエゴを確立する曲なのか?誰かとの交わりに身をまかせる曲なのか?
は少しだけ考えてみてもいいのでは?
と思ったのでモリモリ自分本意に述べてみましたyo
そして、逆に歌うたいも自分が無くなるくらいその曲に身を任せる
というのもものすごく面白いことだよなと感じる
ってことでごきげんよ〜〜〜〜〜〜
しゃらんるわあああぁあ❤︎
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